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伝わる人には伝わるメッセージ5

手を伸ばそうともつかめないものがあり、目の前に現れているのに手にできないものがあり、心が苛立ちはちきれそうになる。痛みにも限界がありもうすべてが闇に包まれてしまうとき、人は本当の力というものを表に出すことができるのかもしれない。決して自分では見つけることのできなかった力が、ふつふつと湧き出てくるのだ。もうその流れは誰にも自分にでさえも止めることはできないであろう。マグマの底の底のその怒りと隣り合わせになっている希望が目を覚まし、鳥のさえずりを心地良く聞きながら散歩するようなまるでかけ離れたその世界に花が開くとき人は変化というもに惑わされなくなる。変化というものを人は怖がるが、その変化は人を美しく清らかにしていくものだとハートで気づくだろう。川の水が石にぶつかり、流れが止まるどころか勢いにのって遠くへと旅をする。人の人生も同じようなもの。石や流木や落ち葉などがその川のその行き先を方向付けてくれるものなのだ。涙がその頬を流れ、精一杯唇をかみしめるとき、ただ悲しみで溢れるのではなく、その背中を押してくれている存在があることにもほんの少しでいい、見てほしいのだ。にぎりしめたこぶしがほどけなくても良い。悲しみを喜びに変えようとしなくて良い。だた、この世界には色んな彩があるものなのだと片隅に知っておくだけで救いは訪れるのだから。どうかあきらめないでほしい。まだ色づけを終えてはいけない。こんなにもたくさんの色があるのだと身をもって体験できる、それがこの世界だけの幸運であり、特権なのだから。

伝わる人には伝わるメッセージ4

その吸った空気ひとつひとつが隅々の細胞まで行き渡り、細胞の記憶として刻まれていく。その結晶が目に見える形としてあらわれた時、人は達成感というものを感じるのだ。だが自分を愚かだと思うことがこんなにも自分を疲れさせる。心が叫んでいることには見向きもせずに、外面の自分に希望を持ちたがる。小さな炎を絶やさぬよう、もっと大きくしようと自分らしさから離れるのではなく、今はただその炎を優しく見ていようではないか。消えそうなら薪を足せばいい。何か特別である必要はない。優れたものでいようとすれば、その隙間から自由が行き場をなくしてもがきだす。窮屈になるだろうよ。言葉の裏のその裏をくみ取ろうとせず、ただ言葉として受け止めればいい。言葉は人に勇気を与えるものとして使えばいい。その勇気は言葉を超えて本物の言葉となす。もう少し、あと少しと自分に言い聞かせながらやってきたのかもしれない。だがその「もう少し」がどれだけのものを呪縛化させただろう。もう少しなんて待たなくてもいい。期限はとうに過ぎたはず。そこには止まった空間があるのみ。変えることのできないものをただ見つめて過ごすだけでいいのか。自分の思いをもう一度確かめてみようではないか。

伝わる人には伝わるメッセージ2

ほのかなその香りに誘われて行ってみると、そこは見覚えのある場所だった。記憶に残っている場所だが、実際に自分の足で行ったことはない。だがなぜそんな所へ辿り着いたのか。それは魂に刻まれた記憶が連れて行った先だからだ。ざーざーと波が押し寄せては去っていく。白波はとても気持ちよさそうにまるでうたを歌っているかのようだ。そのうたに誘われるかのようにカメの赤子が海へ入っていく。何かに引き付けられるということは、お互いが共鳴し合ってのこと。お互いのリズムがそろったということ。それは奇跡のようだが奇跡のようなすごいと思うものではなく、ただ時期がやってきただけのこと。カステラの味が妙になつかしく、コーヒー片手にその雰囲気を味わってみるとよく分かる。自分が求めていることと本心が求めていることにズレがある場合に「不安」というものが生まれるのだ。だがその不安は悪いものではなく、「不安」は自分にとっての「真実」を教えてくれる。ヒントが散りばめられていて、ガラスの破片のようなものばかりがまわりにあって、つかむと痛くてつかめない。そんなときは、ガラスの破片を手ではなく、手で触れなくてもつかめる別のものでつかめばいいじゃないか。そうやって他のものにも意識を向けるクセをつけてみるとより一歩近づくことができる。自分にとっての「真実」に。

伝わる人には伝わるメッセージ1

オレンジ味はオレンジだが、それが加工されれば色んなものに変身していく。だが、元々は同じ。根元が同じということは根っこのものが同じだから、要は1つのものとなる。形は変われど全てのものはひとつ。全てがつながっている。どこかで必ずつながっている。だが人はそこに触れようとせず、違いを見てその違いに苦しみ嫉妬し、なぜ違うんだと嘆き同じものになりたがる。だがそもそも同じもので形が変った同じものであることを見ようとはしていない。同じとは違うということであって、違うということは同じである。そもそもなぜ違うと感じるのか。それはそれぞれが役割というものを持っていて、唯一その役割が違うためである。なぜと疑い自分を否定し何もやろうとせず、ただそうやって考えるだけで何が起ころうとする?きっとそこからは疑問のループが続くことしかないであろう。白色が黒色になり、黒色が青色になり、青色が黄色になり、全ての色が本当は備わっていて、どの色を表に出すか、そして出していないかだけなのだ。難しく考えれば謎は深まっていくだけであろう。難しいということは、簡単にシンプルに考えるということが出口の入口になるのだ。何かに迷い、先へ進めないときは、そこを思い出してみるといいだろう。何かが何かに新しく変わるとき、おのずと謎が一つひとつ消えていくであろう。